The Remains of Runners ~走者の追憶~

陸上競技の海外記事を中心に執筆します。

織田幹雄 (Oda Mikio)

織田幹雄さん。

 

日本人初のオリンピック金メダリストであり、日本陸上界の父。

 

167cm、65kgの身体で1928年のアムステルダム五輪に臨み、三段跳で15m21を跳び優勝。

 

今でも十分に通用する、立派な記録です。

 

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アムステルダム五輪当時の映像です。優勝を決めた後の安堵に包まれた笑顔が素敵ですね。

 

余談ですが、0:34のあたりで写っている日章旗が隣に比べて非常に大きいです。これは、日本選手団が表彰用の日章旗を持参しなかったため、織田氏自身が持ってきた大型の旗を止む無く使ったからです。有名な逸話です。

 

また、織田氏の跳躍フォームを確認できる別のビデオもあります。

 

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0:31~走幅跳の映像です。まだ競技が十分に発展していなかった時代にも関わらず、とても美しい跳躍をしています。きっと現代に生まれても、有力な選手になっていたことでしょう。

 

1936年のベルリン五輪走幅跳で優勝したジェシー・オーエンスと比較すると、織田氏の技術の高さが分かります。

 

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ジェシー・オーエンスは原始的なフォームにも関わらず、天性のバネを活かして人類初の8mを跳んでいます。オリンピックで4冠を成し遂げたオーエンスは、特にアメリカ人に多大なる影響を与え、いまでも彼を尊敬するスポーツ選手は絶えません。

 

オーエンスが歴史に残る名選手であることに変わりはありません。しかし、技術レベルを見ると織田幹雄氏、あるいは故南部忠平氏の方が2歩も3歩も先を行っていたように思います。

 

自分が持つ容量を活かす術を徹底的に考え抜き、結果を残す。織田氏からは、今も日本人に通ずる大切な精神を垣間見る事が出来ます。

 

《参考資料》

Mikio Oda Bio, Stats, and Results | Olympics at Sports-Reference.com (2018年10月9日アクセス)