走高跳の歴史 (The History of HighJump)
皆さん、走高跳をしている選手を思い浮かべてください。
おそらく頭に浮かぶのは、背をバーに向けて華麗に跳び越える選手の姿でしょう。この跳躍方法は "Back-first Technique"(背面跳び)と呼ばれるものです。
実は、人類は非常に長い年月をかけて、この跳び方にたどり着きました。
今回は走高跳の歴史を、例のように英文記事を参考にして、ひも解いて行きます。
背面跳びを世界で初めて試みた、ディック・フォスベリー (Dick Fosbury) の跳躍↓
目次
1.黎明期
2.ベリーロールの時代
3.背面跳びの誕生
4.現代の走高跳
1.黎明期
記録上、初めて走高跳が行われたのは19世紀のスコットランドでの試合です。当時の跳躍方法は正面跳びやはさみ跳びが主流でした。
はさみ跳びは学校の教科書にも記載がありますが、正面跳びに関しては、ほとんど完璧に忘れ去られた跳び方です。これは、バーの正面から助走し、ライダーキックのように跳び越える跳躍スタイルです。
しかしながら、19世紀末頃になると、徐々に技術的な改良が成されます。
アイルランド系アメリカ人のSweeneyという選手は、はさみ跳びを改良したフォームを採用し1985年に1.97mの記録を出します。これはEastern cut-off と呼ばれました。英文記事によると、これは「はさみ跳びと同じように踏切り、そのあとに背筋をピンと伸ばし目線は完全に上に向けて跳ぶ」跳躍方法だそうです。
また、20世紀に入ると、異なる跳躍方法がHorineというアメリカの選手によって編み出されます。これがWestern Roll という跳び方です。Horineは1912年に2.00mを跳びました。
1936年のベルリン五輪では、Cornelius Johnsonという選手がこのスタイルで2.03mをクリアします。
体の側面をバーに向けて跳び越えるのが特徴です。(5:55~)
2.ベリーロールの時代
次なるテクニックが生み出されたのは、1956年頃になります。それが、皆さんにも比較的なじみのあるStraddle technique(ベリーロール)です。ベリーロールは、Western Rollと踏切までの形は大きく変わりません。ただし、バーを越えるときに選手はお腹を下に向けます。
ベリーロールにより、世界で初めて7フィート(2.13m)の壁を破ったのがチャールズ・デュマス (Charles Dumas)という選手です。(0:18~)
そして、1964年にはソビエトのワレリー・ブルメル (Valeriy Brumel)という選手が2.28mにまで記録を引き上げます。しかしながら、ブルメルは全盛期に交通事故に合い、以後は精彩を欠きました。(1:03~ブルメルの跳躍)
3.背面跳びの誕生
そして、ベリーロールとは全く異なる跳躍スタイルとして、アメリカのディック・フォスベリー (Dick Fosbury)が生み出したのが、背面跳びです。
背面跳びは、走高跳の黎明期に考案されたEastern cut-offを原型とする跳び方です。踏み切ったあとは頭と肩を先行させ、体を大きく反らせてバーを飛び越えます。
背面跳びがフォスベリーの時代まで行われなかった理由としては、ジャンプ後の選手を支えるクッションの質が低かった事が挙げられます。土や新聞をくるめたような緩衝性の低いクッションで背面跳びを行うと、首を捻ってしまう恐れがあります。
余談ですが、漫画「デカスロン」の主人公、風見万吉は同様の理由から背面跳びを諦め、ベリーロールを採用しています。
フォスベリーが1968年のメキシコ五輪で優勝したことで、この技術は世界中に広まります。しかしながら、1978年まではベリーロールでの世界記録更新もありました。故に、背面跳びが本当に世界的に浸透したのは1980年の前後だと考えられます。(0:38~フォスベリーの背面跳び)
4.現代の走高跳
背面跳びが発明されたことで人類は2.40mの壁をも破り、現在の世界記録はハビエル・ソトマヨル (Javier Sotomayor) が持つ2.45mです。この記録は20年以上更新されていませんが、近年はムタズ・エサ・バルシム(Mutaz Essa Barshim)選手やボーダン・ボンダレンコ (Bohdan Bondarenko) 選手など有望なハイジャンパーがいるので、近いうちに新記録達成のニュースが聞けるかもしれませんね。
0:10~ソトマヨルの世界記録。
今回見てきたように、走高跳は本当に過去の選手たちのたゆみない努力の上に発展してきた種目と言ってよいでしょう。
《参考資料》
Captcha(2018年7月25日アクセス)