走者の記憶~The Reminds of Runners~

英文記事やインタビューをもとに、陸上選手について考察していきます。気になる陸上選手がいましたら、コメント欄にて執筆依頼も受け付けます。

生涯現役のアスリート①

マスターズの世界大会も行われているように、陸上競技生涯スポーツとしての側面も持ちます。

 

ふと年齢別の世界記録を眺めていると、その記録には驚くばかりです。記録保持者の中には、往年の名選手の名前も見ることができます。

 

今回は、生涯現役をテーマに記録に挑み続けるアスリートを紹介していきたいと思います。

 

マリーン・オッティ (Merlene Ottey)

五輪で9つのメダル、世界選手権では金メダルを含む15個のメダルを獲得した名スプリンターです。これだけの栄冠を得た後も、走ることへの情熱は衰えず、マスターズの世界記録を次々に更新。100mを40歳で10.99(-1.2)、46歳で11.34(+1.8)、50歳で11.67(+0.9)、52歳で11.96(?)と生涯現役を貫き今も走り続けています。

 

52歳、100mを11.96で走るオッティ

www.youtube.com

 

YouTubeで確認できる限りでは、この2012年のレースが最も新しいものです。しかし、2017年のインタビューでオッティは次のように述べています。

 

"When I look, I see there are other people competing that are 75 to 100 years old, there is no limitation there, so, I'm going to stay running and see what i can do."

 

 「周りを見渡せば、75歳とか100歳とかになっても競技を楽しんでいる人はいます。限界なんてありません。私はこれからも走り続け、自分がどこまでやれるか挑戦していきたいです。」

 

この言葉通り、オッティは今もトラックに立ち続けていると思います。

 

《参考資料》

Merlene OTTEY | Profile | iaaf.org(2018年9月20日

List of world records in masters athletics(2018年9月20日

Meet the People: Merlene Ottey, Seven-Time Olympian and Still an Unstoppable Force(2018年9月20日

フアン・ミゲル・エチェバリア (Juan Miguel Echeverria)

陸上競技にはアンタッチャブル・レコードと呼ばれる記録があります。

 

例えば、女子100mや400mの世界記録は20年以上に渡って破られないどころか、それに肉薄する記録すら存在しません。

 

マイク・パウエルの持つ男子走幅跳の世界記録8m95もアンタッチャブル・レコードに近い存在です。21世紀に入ってからの最高記録はドワイト・フィリップス(米)が2009年にマークした8m74。まだ世界記録とは20cm以上の開きがあります。

 

私も、走幅跳は10年以上に渡って注目してきましたが、世界記録を狙えそうだと感じた選手は一人もいませんでした。

 

しかし、2018年、ついに世界記録に挑戦する資格を持つ選手が現れました。

 

キューバ出身のジャンパー、フアン・ミゲル・エチェバリア選手です。なんとまだ20歳。

 

ミゲル選手は今年6月にストックホルムで行われた大会で8m83(+2.1)の大ジャンプを披露しました。

 

www.youtube.com

 

素晴らしいバネを感じさせるダブルシザースで、ほとんど砂場の端まで跳んでしまう大ジャンプです。2.1mという風を抜きに考えても素晴らしいジャンプであったことは間違いありません。

 

この跳躍に加えて、ミゲル選手に可能性を感じるのは、やはりまだ20歳と若いことです。

 

ドワイト・フィリップスが8m74を出した時、彼はもう30歳を過ぎて円熟期に入っていました。

 

ミゲル選手は高い技術で跳んでいるようですが、本人とすればまだまだ改善しようと思う部分が多いことは間違いありません。

 

9mジャンプはもはや人類には不可能なのでは、と思いかけていた時に非常に楽しみな選手が出てきました。

 

ミゲル選手は昨年までは全くの無名で情報も少ないですが、2014年に100mを11.51、400mリレーのメンバーとして2016年に41.08を出したというデータが残っています。

 

16歳で100mを11.51というのは特別秀でた記録ではないので、この4年間で記録を徐々に伸ばしたか、あるいは今年になり素質が開花したのかもしれませんね。

 

今年は、ダイアモンドリーグにも本格参戦していないようですので、来年の世界陸上ドーハ大会や、再来年の東京五輪で真価が問われそうです。

 

1991年、マイク・パウエルは東京の地で世界記録を打ち立てました。2年後の大舞台で、若きジャンパーが世界記録を再現してくれることを期待しましょう。

 

今から、オリンピックが楽しみです。

 

《参考資料》

Juan Miguel ECHEVARRÍA | Profile | iaaf.org(2018年9月15日アクセス

ドノバン・ベイリー (Donovan Bailey)

ドノバン・ベイリー。1995年イェーテボリ世界陸上、および1996年アトランタ五輪にて100mで優勝。五輪制覇時の記録9.84は当時の世界記録。

 

大学ではバスケットボールをプレイし、卒業後しばらくは投資コンサルタントとして働く。その後、才能を見出された異色のスプリンター。

 

www.youtube.com

 

0:11 I was born in Jamaica and listened to radio and hearing about ??? .We are in the same circles now. It's kind of funny. Probably the most important moment was my race in 1994 in Rome. All the top sprinters in the world was in that race and I was leading up to about 80m and I looked at my right and my left forward them. At about 80m and then they passed me, so I think that was the coming-out party for me and probably the greatest moment for me because that's when I knew that I would be the next king or the next person or the next champion.

 

0:48 My first world championships in Sweden was probably one of the greatest experience because it kind of, you know, I felt so much at home and it was, I mean, in the stadium and it kind of felt that it was like you, a family watching, so it was pretty awesome. I learned I knew that I was the favorite or one of the favorite. Frankie and I had tussled during that year I crossed the line and I looked at the clock and I all saw was 9.8 and I knew that I'd broken the world record.

 

1:18 Great thing about the 100m is that the world does stop. You know, every year where there is a major championships. The world stops to watch the 100m. I mean we are very fortuned and then you can't really say about the any other event. At the end of the day when you cross the line you probably guarantee that 99% of all media across the globe knows your name.

 

1:44 When I think of probably the greatest Track & Field athlete always go back to 1936 and I think of Jesse Owens and the fact that he was in Germany and, you know, he was a little black boy from the US, who, you know, wasn't allowed in anywhere, but he went out and he broke four records. Great respect for Carl because he is probably one of the pioneers that professionalized Track & Field, so he allowed also to make a living from the sport.

 

2:12 Retirement was, has been awesome because, you know, I'd achieved everything. I think that I want people to, probably, to remember that my personality. I mean, to remember, you know, the fact that I smiled or the fact that I understood that the fans were most important people. I'm a philanthropist, so I have two there is two ParticipACTION Canada. I'm the spokesperson for that and essentially it's teaching the country the exercise and Big Brothers Sisters Canada and also I'm the spokesperson for that it's essentially a mentoring program that we have. It gives you the ability to reach out to mentor and, you know, tell the kids that they can, you know, use the platform for good. That's what I'm saying, so it's been awesome. It's been an amazing post Olympic championship life.    

 

私はジャマイカに生まれ、ラジオでアルバータ州のリノという土地のことを聞いていた。今、私はまさにその地にいるが、何だか変な気分だよ。多分、私にとって最も大切なのは1994年にローマで行われたレースだ。世界のトップ選手たちと同走したが、私は80mくらいまで先頭を走った。右、そして左を見て確認したよ。だが、80mを過ぎたら彼らは私を抜き去った。あのレースは私の国際的なデビュー戦だった。同時に、最も素晴らしい瞬間だった。なぜなら、そのレースで自分には世界王者になる可能性があることを確信したからだ。

 

私にとって初めての世界選手権であったスウェーデンの大会は、ひょっとすると最も素晴らしい経験だったかもしれない。会場の雰囲気はとても暖かく、スタジアムでは丁度あなたのような家族がレースを楽しんでいた。最高でしょう。私は観客にとってお気に入りの選手の一人だったと思う。あのシーズンの私はフランキー(・フレデリクス)と激しい競い合いをしていた。フィニッシュラインを超えてタイムに目をやると、9.8...と見えた。世界記録を破ったんだ、と分かったよ。

 

100mは世界中が注目する素晴らしい競技だ。毎年、主要な大会があると、世界中が静まり返り100mを観戦する。そういう意味で、私たち選手はとても恵まれている。他の競技ではこんなことはないからね。フィニッシュラインを一番に越えた瞬間、99%の世界中のメディアに勝者の名前が刻まれるのさ。

 

私の意見では、最も素晴らしい陸上選手は1936年にさかのぼる。そう、ジェシー・オーエンスだよ。ドイツに降り立ったジェシーアメリカの黒人選手の一人にすぎなかった。彼は、アメリカでは(黒人であるために)あらゆる場所への立ち入りを禁じられてさえいたんだ。でも、オリンピックで4つの記録を作った。カール(・ルイス)にも尊敬の念を抱いているよ。彼は陸上競技プロスポーツたらしめた選手の先駆けだ。カールは陸上競技でお金を稼ぐことを可能にした。

 

引退後の生活は充実している。私は現役生活に何の未練もない。ただ、ファンの方々に記憶しておいてもらいたいのは、私のキャラクターだね。私はいつだって笑顔でレースに臨んだ。ファンが最も大切な存在だと理解していたんだ。私は慈善活動家だ。カナダでは私が代表を務める2つのパティシパクション(注1)がある。この組織は、国にスポーツ知識を伝えることを目的としている。同様に、BBSカナダ(注2)でも代表を務めいるよ。この組織では、私たちが行うプログラムの指導をやっているんだ。BBSカナダでは誰もが指導を受けたり、子供たちがそれをずっと利用できる仕組みが整っている。私は自分のやっていることを誇りに思っている。このような組織は、時世代の五輪や世界大会の代表選手にとって素晴らしいものだと自負している。

 

注1 パティシパクション(PatricipACTION)とは、カナダのスポーツ実施率向上を目指して活動する組織の名称である。

 注2 子供や家族向けに指導プログラムを提供する非営利団体

 

キム・コリンズ (Kim Collins)③

 前回、前々回に引き続き、キム・コリンズと国との問題に焦点を当てていきます。

 

過去記事はこちら↓

khorosho.hatenablog.com

khorosho.hatenablog.com

 

目次

1.逮捕と兄の死亡

2.キム逮捕時の妻による証言

3.まとめ

 

1.逮捕と兄の逝去

www.jamaicaobserver.com

(2018年8月15日アクセス)

 

(本文・見出し)

Kim Collins arrested over child support issue

 

キム・コリンズ、子供支援問題で逮捕される。

 

記事の見出しの通り、コリンズは2013年に子供支援に関する罪を問われ逮捕されています

 

こちらの記事も全訳していきます。まとめはその後に書きます。

 

(本文)

BASSETERRE, St Kitts (CMC) - Iconic sprinter Kim Collins says he does not owe any money in child support following his arrest as he prepared to leave the country.

Police escorted Collins to a courthouse in St Kitts after his arrest in Nevis as he was boarding an aircraft to travel overseas.

A complaint is believed to have been made that Collins was leaving the country without making adequate provisions for his next payment.

However, WINN FM says it understands that Collins did not owe any money in child support when he was arrested.

It was alleged that Collins was in breach of child support payments but paid up monies owed since October before travelling to St Kitts. 

Collins has been quoted as saying he had receipts to show he was not in arrears and had documents to prove that he had put measures in place for the payments to be made.

He said the court ordered that amendments be made to one of the documents and that was done.

Reports indicate that Collins was allowed to travel after sureties were again identified for his next payment if he failed to do so.

Collins was detained as he returned to the island to attend his brother’s funeral after winning the 60 metre-dash in 6.57 seconds at the Russian Indoor Winter games.

 

(和訳)

セントクリストファーネイビス、バセテールにてースプリンターのアイコン的存在であるキム・コリンズは子供支援に関して一切の費用を負っていないと主張する。逮捕前のコリンズは出国の準備を進めていた。

 

警察は外国に渡航する直前であったコリンズを法廷に召喚した。

 

警察は主張した。コリンズは次回の支払いに関して適切な用意をしないままに、出国するところだった。

 

しかしながら、WINN FN によると、警察は子供支援の費用に関してコリンズに全く責任がないことを逮捕の時点で把握していた。

 

コリンズは子供支援金の支払い規約に違反したとして罪を問われた。しかしながら、セントキッツに飛び立つ前の10月にコリンズは負っていた金額を返済している。

 

コリンズは、自分は領収書を持っていて、それは借金を延滞していない証拠になると語る。同様に、彼の持つ資料では、支払いに応じて適切な処理を行ってきたことが証明できると言う。

 

コリンズによると、法廷側は彼が資料を改ざんしたと訴えている。

 

さらに報告書によると、コリンズは次の支払いに関する保証が確認された後ならば渡航が許可されるとされている。

 

コリンズは、ロシアで開催された室内競技会の60mで6.57の記録で優勝した。しかし、その後に弟の葬式のため島に戻ろうとしたところを拘留された。

 

このように、コリンズは児童支援に関する金銭問題についておそらく不当に申し立てられています。さらに、最後の文ではコリンズの弟が死去したことが示されています。コリンズの弟は警察に射殺されたそうです


www.whatsupcaribbean.com

(2018年8月15日アクセス)

 

引用は省きますが事件の顛末は以下のようです。

 

コリンズの弟であるカルスタス・ブラウン (Callustus Brown) は関係がこじれていた妻をナイフで刺した。

駆け付けた警察は武器を下すように指示したが、ブラウンはそれを拒否した。そればかりか、警察の一人も刺してした。

その後、警察に打たれて死亡。

 

事件の真相をこれ以上追及することは困難です。しかしながら、キム・コリンズは国との確執に加えて、このような事件まで起こってしまい、ストレスに晒されたことは容易に想像できます

 

また、別記事によるとコリンズは「二度と母国のためには走らない。」とまで宣言しています。

 

www.thesun.co.uk

(2018年8月15日アクセス)

 

(本文)

A furious Collins - who carried the flag for his country at the Opening Ceremony - said he would never again run for the tiny Caribbean nation after being shown a lack of respect.

(和訳)

激怒したコリンズは、敬意にかけた態度を示されたがため、二度と小さな島国である母国のためには走らないと誓った。コリンズは、オリンピックで代表選手団の旗手を務めた人物であるにも関わらず…

 

2.キム逮捕時の妻による証言

では、コリンズが逮捕されたことについて周りはどう反応したのか。コリンズの妻の主張を見ていきます。

 

SKNVibes | Kim Collins' wife speaks out about his arrest(2018年9月11日アクセス)

 

(本文)

BASSETERRE, St. Kitts - PAULA COLLINS, wife of St. Kitts-Nevis’ sprint icon Kim Collins, has spoken out on his recent arrest in Nevis.

 

Calling into WINN FM's daily talk show ‘Voices’, Paula spoke passionately about Kim's recent arrest for allegedly owing child support and revealed what transpired while he was being transported from the Vance Amory International Airport in Nevis.

 

Paula claimed that the vehicle within which her husband travelled after being arrested “crashed head on in Nevis with Kim in the car, almost killing him...”

 

She stated that the vehicle was being driven by a police officer and that following its collision with another vehicle, the officers did not seek medical assistance for her husband

 

“After they [police] took him out of the airport, it was as if there was a bad thing in the air because as a police officer you know that Nevis does not have that amount of traffic at that time of the day, what were you doing that you are going to have a head on collision with somebody?

 

“He [Kim] has made St. Kitts a force to be reckoned with.  So, if you are taking someone like that - he is innocent until proven guilty - and you are going to crash into a car and never ask him if he is okay, get him any medical [assistance] - anything?”

 

SKNVibes investigated these claims which were confirmed by a police official that the vehicle carrying Kim did collide with another last Thursday (Feb. 7) while he was being transported from the airport.

 

With regards to Kim having to appear in the Magistrate's Court in St. Kitts, Paula explained that arrangements were made to ensure that monies for maintenance were made while he is overseas.

 

“We have two lawyers signed in the Magistrate’s Court that says they have the responsibility that if Kim is not on the island the child support will be paid. Why Kim was pulled outside of the airport and tried to be disgraced in that way? Nobody understands.”

 

When asked her thoughts on the reason for her husband’s ill treatment, Paula expressed that persons may be envious of him.

 

“Envy! A jealous set of people who are not trying to find out what is going on. The police seem to be one-sided, the Court system seem to be a mess, because he keeps going to a Court that has not given him any rights.

 

“Imagine the same people that had him in Court went in his car to pull his own child out of his car. And when Kim went to Court with them, the police lied in Court, the baby mother lied in Court, the husband lied in Court and Kim was still found guilty. A system like that I just don’t understand.”

 

Paula expressed that while St. Kitts may have many people who truly care for Kim, there are others who do not have good intentions for him, and it is their voices being heard and their actions seen.

 

Sprint icon Kim was arrested in Nevis last Thursday at the Vance Amory International Airport for allegedly not making adequate arrangement to support his children while overseas.

 

Kim was reported by another media house as saying he did not owe any child support and had receipts to show he was not in arrears, as well as documents to prove that he had put measures in place for payments to be made.

 

SKNVibes understands that the Court had ordered that amendments be made to one of the documents which was done and that Kim was allowed to travel after sureties were again identified to make the required payments if he failed to do so.

 

(和訳)

セントクリストファーネイビス、バセテールにてー国のアイコン的存在であるスプリンター、キム・コリンズの妻ポーラ・コリンズは夫の逮捕についてネイビスにて語った。

 

WINN FMのトークショー、"Voice" に招待されたポーラは夫の逮捕について熱心に語った。夫のキムは子供支援に関するの責任を問われ逮捕された。ポーラは同様に、夫がネイビスのバンス.W.エイモリー空港から輸送されたときの様子についても口を開いた。

 

ポーラの主張によると、夫のコリンズが逮捕後に乗せられた輸送車は「正面衝突事故を起こし、夫は危うく死ぬところであった」。

 

さらにポーラは続ける。その車は警察官が運転しており、他の車と衝突事故を起こした。しかし、事故の後、コリンズに対しては何のメディカルチェックもなかった。

 

「警察が彼を連れて空港を出た後、何か不穏な空気がありました。ご存知の通り、ネイビスの日中はそれほど交通量が多くありません。それなのに、どうして正面から衝突するような事故が起こるのでしょうか。」

 

「夫はセントクリストファーネイビスという国の名前を世界に認知させました。そのような人を車に乗せているのに、事故を起こし、さらには怪我の確認もせず病院にも連れて行かないなんて、、、。夫はその時に何の罪も認められていなかったのですよ。」

 

SKNVibesメディアは、ポーラの主張に基づき調査を行った。その結果、2月7日(木)にコリンズを空港から輸送中、車を運転していた警察が事故を起こしたことが正式に確認された。

 

夫が治安裁判所に出廷させられたのは、キムが海外滞在中に子供支援の費用を工面したことを問うためだった、とポーラは説明する。

 

「私たちは治安裁判所の弁護人2人を雇っています。彼らによると、キムには国にいない間も児童支援金の支払い責任があります。なのにどうして夫が空港から強制送還されて、辱めを受けなければならなかったのか。全く理解できません。」

 

夫に対する対応の不適切さは、特定の人々が夫を妬んでいることから来ている、とポーラは考える。

 

「嫉妬よ!夫を妬む人たちは、真実が何なのかを全く糾明しようとしない。警察は一極に固まっているし、司法制度も混乱している。彼らの前では、夫は何の権利も保証されていないのと同じです。」

 

「こんな状況を想像してみてください。キムを出廷させようとする人間が車に乗り込んできて、彼の子供を車から締め出す。そして、出廷すると警察は嘘の証言をしている。妻も嘘を報告する。夫も嘘の証言をする。結果、キムはまた罪を問われる。私は、どうしてこんなシステムになっているのか理解できません。」

 

ポーラは続けて語る。セントクリストファーネイビスには夫を敬う人もたくさんいるかもしれない。その一方で、キムをよく思わない人も多い。そして、みんなの耳に触れたり、実行されたりすることの多くは彼らの意思に基づいている。

 

スプリンターのアイコン的存在であるキム・コリンズは先週の木曜日にネイビスのバンス・エイモリー国際空港で逮捕された。彼が問われた罪は、海外渡航中に自分の子供に対して十分な支援金を工面しなかったことだ。

 

一件は他メディアにも取り上げられているが、それによるとキムは子供支援に関して何の義務もないし、お金を滞納していないという証拠も持っている。同様に、支払うべきお金の類は納めていることを示す書類も持っている。

 

SKNVibesメディアは、裁判所が要求した補償をキムは既に完了していることを確認した。また、要求される支払いを済ませたのちにキムが海外渡航を許可されるという情報も掴んでいる。

 

さて、引用をまとめていきます。2013年にキムコリンズは逮捕されました。問われた罪とは、コリンズが子供支援金の支払い規約に違反した、というものです。しかしながら、記事ではコリンズが然るべき対応をしてきたことが示されています。ゆえに、やはり警察の作為的なものが背後にあるように思われます。さらに、コリンズが逮捕されたとき、彼を乗せた車は事故を起こします。しかし、コリンズは国の英雄的なアスリートであるにも関わらず、一切のメディカルチェックも行われなかったそうです。このことからも、どれだけコリンズが母国で不当な扱いを受けていたのかが推し量れます

 

 3.まとめ

今回は、ロンドン五輪後もコリンズと母国との間には深刻なトラブルがあったことを示しました。以上のように、コリンズは不可解に逮捕されたり、兄が警察に殺害されたりと相当な精神的ストレスを受けていたと思われます。過去記事で見てきた、国の二極化がここまで深く根をおろしているとは予想していませんでした。

 

このように、コリンズと国との関係性は地に落ちた感があります。しかしながら、コリンズは2015年に国の代表に返り咲いています。

 

次回は如何にしてコリンズが国との不和を解消していったのかを見ていきたいと思います。

 

キム・コリンズ編が想定外の長編記事になってしまいましたが、次回以降もお付き合いお願いします。

アリソン・フェリックス (Allyson Felix)

アリソン・フェリックスは陸上界で最も人気のある女性アスリートの一人です。

 

高校生にしてアテネ五輪でメダルを獲得し、それ以来10年以上も世界のトップを走り続けています。

 

余談ですが、僕も世界陸上大阪大会(2007年)でアリソン・フェリックスウィニングランを生で見た記憶があります。

 

マイク・パウエルと同様に、尊敬する選手として女子7種競技世界記録保持者のジャッキー・ジョイナー・カーシーを挙げていますね。

 

www.youtube.com

 

0:10 I started athletics when I was a freshman in high school and I came out for the team because I was at a brand new-school. I didn't know that many people and I just... I knew my old brother ran and my dad had run at high school, so they encouraged me to come out to meet some new people. The best moment so far in my career was definitely at the London Olympic games. To be able to win olympic gold in 200m was something that was very special to me and took a long time to accomplish, so that was definitely my best moment.

 

0:42 In athletics, I really look up to Jackie Joyner-Kersee although she doesn't specifically run my event. I just admire the type of athletes that she is and the person that she is and she is a source of the inspiration for me and she is a mentor to me as well, so I have a special relationship with her. She helps me along the way, you know, in the professional track world, and also things that ventures that I want to do outside the track and so she is someone that I kind of always come to, you know, with an idea or advice that she can give me and she is a fiend as well.

 

1:12 I trained with Bobbie Kersee and we have about 7 athletes and so a training camp is always something that's fun that we do normally, get to go away and we go through these killer work outs on the track and, but we also get to have a bit fun to we may if or somewher by the water we'll go the beach or just enjoy each other's company and try to bond.

 

1:31 When I retire from track I know that I want to work with kids in some capacity and my degree is elementary education, so maybe a teacher or something like that.

 

高校に入学後、私は陸上競技を始めました。学校は創立間もなかったので直ぐにチームの代表に成れました。チームは知らない人ばかりでした。でも、兄も父もかつては高校で陸上競技をしていたし、彼らは私に色んな人に会うよう勧めてきました。競技人生で最高の瞬間といえば、やはりロンドン五輪です。200mで勝つのは特別なことでしたし、それを達成するには長い時間がかかりました。なので、私にとってロンドン五輪は特別です。

 

ジャッキー・ジョイナー・カーシーは私が特に尊敬する陸上選手です。もちろん、彼女は私とは違う世代の選手ですが。彼女のような選手は私にとって尊敬の的ですし、多くの刺激を受けます。また、彼女は私に助言もしてくれます。なので、彼女とは特別な関係があります。プロの陸上選手としてはもちろんのこと、競技のほかにも私がやりたいことについて模範となる存在です。彼女は惜しみなくアドバイスをしてくれる良い友人でもあります。

 

私はボビー・カーシをはじめとする7人ほどの選手とともに合宿を組みました。合宿はいつもの場所を離れて行う楽しいものです。そして、一丸となって過酷なメニューを消化します。一方で、息抜きにはビーチへ繰り出したり、ただ仲間との時間を楽しみ絆を深めます。

 

引退後は、子供と関わることがしたいと思っています。私は初等教育の学位を持っているので。先生なんかになるかも知れませんね。

 

ジョナサン・エドワーズ (Jonathan Edwards)

18.29m。23年間破られていない男子三段跳の世界記録保持者。

 

とてつもなく速い助走から、水切りの石のように跳躍する選手でした。

 

熱心なクリスチャンで、病院で研究職に就くほどの風変わりなインテリアスリートでもありました。

 

www.youtube.com

 

0:10 I think people are always suprised when they're seeing me 'cause I'm just this skinny white guy. Yeaah, I hold a world record which has lasted for, you know, getting almost 2 decades. Certainly when I speak to young people when I go into schools, you know, I can tell them the stories of when I was 7 or 8 or 10 or 12 and say "Look, I had no idea I could do something like this", and I'll show them the videos of Gothenburg or Sydney, and they are all like "Wow", but I said "I was just like you". Gothenburg was super scary for me. I'd never been to major championships where people had not just expected me to win which they did, but they also expected me to break the world record, and in the first round all I wanted to do was get a decent jump and settle my nerves and then concentrate on trying to first win the competition and then if I was in great shape final great ???, break the world record, so never anticipated breaking the world record in the first round. A huge sense of relief as well as celebration. When I stood on the runway for my second round jump, there was a big smile on my face. I thought, "All right. Let's", you know, "have a really big jump", you know, "may never get this opportunity to gain such great shape", you know. I love ??? stadium, really nice atmospheres and really it was a great world champion ships. A really nice feeling to it and then as soon as I landed in the pit, I knew it was a world record. I knew it was further than the previous jump, and that's, I kind of stood up. There was no big celebration. I just shrug my shoulders to say "Oh, I can't believe I broke the world record again".

 

1:40 My favorite athletics moment would be Cathy Freeman in Sydney. I mean I competed on my evening and nobody was really taking any notice of the triple jump. All they were concerned about was Cathy Freeman running the 400m. I was still taken aback by the response of the crowd and indeed of the whole country to Cathy Freeman.

 

1:58 In terms of just performance level, I probably go for Bolt in Berlin. It was just breathtaking. I mean you just sat there when I was working for BBC ourselves right on the finish line best scene in the house.

 

2:11 Seb Coe was one of the most, I think, graceful athletes to ever step foot on the track. He kind of floated around 800m. It was very asthetic to watch. I mean some athletes kind of struggle against themselves for ???. It was effortless and in a way, it's been very similar as a chairman of London 2012. I mean, a huge amount of stress, huge amount of pressure and he always maintained a kind of sereneness which is very important as a leader.

 

2:43 I was 37 when I retired, so it was pretty lucky to able to go for that long. After Sydney, I decided that, you know, I try and get to Athens and if I did get that great, if I didn't, it wasn't the end of the world, you know, I'd become an Olympic champion, I'd broken the world record, I couldn't ank for anything more in my career. It's very lucky to get involved in televisions, so I was still at the world championships, so I was still at the Olympic games. You had retired, being sitting at home, not feeling part of this world, happy my world anymore. That would have made it even harder. Be a retirement is tough, but when I came, I was as ready for as I think I could be. 

 

みんなはとても驚いていると思うよ。僕は体の細い白人男性だからね。でも、約20年間も破られていない世界記録を持っているんだ。学校に行って若い人と話すことがあるけど、僕は自分が7才や8才、あるいは10才や12才だったころの話をするんだ。

「自分がこんな事を成し遂げられるとは思わなかったよ。」

そしてヨーテボリシドニーでのビデオを見せるんだ。みんなは「まじかよ」と驚くよ。でも僕は言うんだ。

「僕も君たちと同じような学生だったんだよ。」

ヨーテボリでは内心不安でいっぱいだった。僕は一度も主要な世界大会に出場したことはなかった。だけど、みんなは僕が優勝すること、それどころか世界記録を更新することさえ期待していたんだ。最初の試技では無難なジャンプをして、まずは気持ちを落ち着かせようと思っていた。そしてまずは勝つこと、その後もしも調子が良ければ世界記録を狙おうと思っていた。だから、最初の跳躍で世界記録を出せるなんて考えても見なかったよ。安心したと同時に、観客が讃えてくれた。二回目のジャンプで、走路に立った時は顔に大きな笑みを浮かべたよ。僕は思ったんだ、「よし、もっと大きいジャンプをしようじゃないか。こんな最高の状態で跳ぶことはもうないかもしれない。」と。僕はあのスタジアムの雰囲気が好きだった。とても良い世界選手権だったよ。とても思い入れのある大会だ。そして、砂場に飛び込んだ瞬間、また世界記録を出したと確信したよ。前の記録を超えていることは明らかで、僕は少し飛び跳ねた。観客はそこまで沸かなかった。僕はただ肩をすくめた。

「なんてことだ。また世界記録を破ってしまった」。

 

陸上競技で最も好きな瞬間は、シドニーでのキャシー・フリーマンだ。僕は午後に競技があったが、誰も三段跳のことなんか気にしてなかった。ただみんなはキャシー・フリーマンの400mに注目していた。観衆の声援、そして全世界がキャシーに注目していた。非常に面食らったよ。

 

単純なパフォーマンスレベルを考えると、自分の記録は(ウサイン・)ボルトに匹敵するものだと思う。ボルトのパフォーマンスは圧巻だった。僕はBBCで働いていて、その時はちょうどフィニッシュライン付近の最高の場所に座ってたよ。

 

セバスチャン・コーは私的には、最も優雅な陸上選手の一人だったと思う。彼は流れるように800mを走った。見る者をうっとりとさせる走りだった。選手の中には無意味にもがくように走る人もいるが、セブの走りは全く力感がなかった。ある意味では、2012年のロンドン議長もそういった人物だった。多大なストレスやプレッシャーがあったはずだが、彼は常に落ち着いていた。これはリーダーにとってとても重要な資質だ。

 

僕は37才で引退したが、長く競技生活を続けられて幸運だった。シドニー五輪の後、僕は次のアテネ五輪を目指すことを決めた。もしもそれが叶ったら最高だったろうし、たとえ出来なかったとしても大したことではなかった。だって、僕はオリンピックチャンピオンになっていたし、世界記録をも破ったのだから。これ以上、競技生活に期待することは何もなかったんだ。引退後、テレビ関係の仕事に着けたことを光栄に思っている。この仕事をしているから、僕は今でも世界選手権やオリンピックを観戦できるんだ。もしも引退後に、ただ家にいて大会の雰囲気を、僕にとって大切な空間を味わうことができなかったら、きっと辛かったと思う。そういう意味で、引退したときには自分が思っていた以上に心の準備はできていたんだ。

マイク・パウエル (Mike Powell)

男子走幅跳の世界記録保持者、マイク・パウエル

 

私が生まれる前に開催された、1991年の世界陸上東京大会でカール・ルイスと死闘を繰り広げました。8.95mの世界記録は30年近く破られず・・・

 

短距離種目は近年、非常にレベルが上がっています。一方のフィールド種目は30年ほど記録が停滞しているものも多いです。先人達は時代を先取りして、人間の限界に近づいてしまったのかもしれません。

 

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0:09 World record was a great thing. At that time, the long jump was a difficult team to make me in US, you know. It's arl Lewis and Larry Myricks, and you know, you had the jump beyond  8.30 something just have a chance and make in team. That was a really really special moment for me, but the first Olympic team team was definitely, I think, maybe, maybe edged out  a little bit.

 

0:36 The first time Michael Johnson broke the world record  in when 1966 at the Olympic trials,you know, because I predicted the exact time, so and, you know Michael and I, you know, good friends and that was good, and then, Usain Bolt and the first time brought the world record in Beijing and the way he did it at the end of the race, you know, all that stuff. I was like woow. That guy is awesome.

 

1:05 When I think of, like, great athletes. I think about her. Jackie. She may be the sweetest person that ever I've met before in my life, and she was an all american bascket ball player and, you know, obviously all the things she did, you know, on the track and she was just such a sweet heart, she is so, you know, I think she is, she is kind of my hero.

 

1:33 For when I first retired I thought, "Oh, yeah I'm just gonna go to the next thing and I'll be fine", but I still haven't really been able to find something to satisfy, you know, that hunger or that feeling that I had, 'cause being an athlete especially have any success that I had. So many different things that, you know, are part of it. Competing, and interracting with thousands of people live and millions of people, you know, on televisoin and then and thereafter, so the special moment in my life, that 7-second period in my life is somefthing that  people celebrated with me almost every day. You know, I don't think about it, and then someone come and say "Hey, are you...", like, "Yes, me", so, you know, it's, I mean I used to think "Oh, well you know, I'm much more than just a jumper. I'm gonna be this and that, this and that". That's me, I guess, you know, it's, but I'm proud of it. I'm really really proud of it.

 

世界記録とは、素晴らしいものだ。あの頃のアメリカチームは活気があった。カール・ルイスやラリー・マイリックスがいて、8.30を跳んでやっと代表になれるレベルだった。代表になるのは特別な瞬間だった。でも、最高だったのはやはり初めてオリンピックの代表になった時かな。

 

マイケル・ジョンソン1966年に樹立された世界記録を破った時、私はまさにその瞬間を予測していたよ。マイケルと私は、良い友人同士だ。とても素晴らしいことだ。そして、ウサイン・ボルトが出てきた。北京で彼が世界記録を破った時、ボルトがレースの終盤にやったこと(体をスタンドに向けて胸を叩きながらフィニッシュ)…私はただ圧倒された。彼は最高だ。

 

誰が史上最高のアスリートかを考えると、やはりジャッキー(・ジョイナー・カーシー)かな。私が今まで出会った人の中で彼女ほどの人はいないね。彼女はナショナルチームでプレーするバスケットボール選手だった。そして、ご存知の通り、彼女の陸上競技での功績は…ただただジャッキーは良い選手だった。彼女は、私にとってヒーローのようなものだよ。

 

私は引退した時、「さて、次のステップに進もうか。きっと上手くいくさ」と思った。でも、私はまだ自分の心を駆り立て、満たしてくれるものを見つけていない。特に、私のように成功を収めた人間にとっては難しい。他の事は全く違って見える。競技をして、何千人というファンと交流してきた。もちろん、テレビ越しには何百万と言う人がいただろう。(走幅跳で助走してジャンプするまでの)7秒間は私にとって特別なものだ。毎日、たくさんの人が私を称賛したよ。例えば、外でいきなり誰かが私の方にやって来て、「あれ、もしかしてあなたは…(走幅跳ジェスチャーをする)」って言うんだ。それで私は答える、「ええ、あなたの知っている通り。それは私ですね」と。だから、以前の私はこう考えていた。「私はいまやただの走幅跳の選手じゃなくなってしまった」ってね。確かに、声をかけてくれる人がいうように、私はまさにその(走幅跳の)人だ。それは誇りに、大変誇りに思うよ。